
●三車火宅の喩え
譬喩品第三に説かれる三車火宅の喩えです。
昔ある国に大長者がいました。大変な財産家で、田畑・邸宅・召し使い等を数多く所有していました。その家は広大であったが、門はたった一つでした。その中
には五百人もの人が住んでいて長者の子供だけでも三十人はいました。しかし家は古くなっていたので、すっかり朽ちはて、柱はいたみ、垣根はくずれ、梁は傾
いていました。また人は気づかないけれども、多くの虫けらや鳥獣・鬼畜の類が住みついて、のさばりはびこっていました。
ある時長者が外出した留守に、家のあちこちで火災が起こりたちまち燃えひろがったのです。しかるに子供たちは中で遊びほうけていて一向に火事であることに
気づかず、逃れ出ようとしないのです。帰ってきた長者は、このことに気づき考えたのです。「このままではみな焼け死んでしまう。どんな手段を取っても、力
ずくでも連れ出さなければならない。」そこで「早く外に出よ」と叫んだが、遊びに夢中になって子供たちは、父の言葉など一向に耳に入らず、何も分からない
ままに、ただ家の中を走り廻って遊んでいるだけです。
これを見て、父は方便を用いて救い出すことを考えるのです。子供たちが珍しい玩具に心を引かれることに気づいたので、
「お前たちの大好きなおもちゃがある。いまのうちに取って置かないと、あとで後悔するよ。羊車や鹿車(かしゃ)や牛車(ごしゃ)、即ち三車のおもちゃが家の外に置いてあるが、それで遊びなさい。早く外に出れば好きなものをあげよう。」
これを聞くと、子供たちは争ってどっと外へ出たのです。
父は子供たちが安全に火宅から逃れ出て、四辻の露地に座っているのを見て安心しました。子供たちは、口々に「好きなおもちゃを下さい。」とせがむ。このと
き父は、羊車・鹿車・牛車の玩具ではなくて、子供たちすべてにみな同じように、もっと素晴らしい大きな牛の車を与えた。すなわち等一の大車を与えたのであって、これが「大白牛車」と言われるものであります。
この車は高くて広くて、いろいろな宝で飾られ、周囲に欄楯(らんじゅん)をめぐらして鈴をかけ、覆いを張り、宝石の縄で結び、立派な敷物を重ね、枕も置いてあります。またこれを引く牛は、まっ白で、肌にはつやがあり、形は美しくしかも大変に力が強く、多くの従者に守られて風のようにまっすぐに速く歩きました。長者の庫(くら)には無限の財宝が蓄えてあったので、子供たちに粗末な玩具の車を与えてはならない、かれらはみなわが子であるから偏愛してはならないと考えて、すべての子供に同じような立派な車を与えたのであります。
この喩え話は、衆生の住む生死の迷いの世界を火宅に喩え、声聞・縁覚・菩薩の人々を子供等に喩え、長者を仏に喩えたのです。三車の羊車は声聞の教え・鹿車
は縁覚の教え・牛車は菩薩の教え、大白牛車は仏の教えで法華経のことです。仏は生死の迷いの世界から人々を救うために方便を使って、声聞・縁覚・菩薩の教
えを与えると告げて興味を誘って引きつけ、迷いの世界を出た人々に声聞・縁覚・菩薩の区別をせず皆に同一のもっと素晴らしい仏の教え法華経を与えたのです。
参考資料
『法華経講義 上』
『日蓮辞典』
『法華経に学ぶ 上』
『日蓮聖人遺文辞典 教学篇』
他


