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ちおういんブログ

●良医治子(ろういじし)の喩え

妙法蓮華経如来寿量品第十六に説かれる良医治子の喩えです。
たとえば腕のよい医者がいて、処方が上手で多くの人々の病気をなおしていました。彼は子福者で十人、二十人あるいは百人ほども子供がいました。
父親がある時、用事があって遠くの他国に旅にでているその留守に、子供たちは薬室に入り、誤って毒薬を飲んでこれにあたり、地面を転げ回って苦しみ出しました。
そのとき父が帰って来て見ると、子供たちはみな毒にあたり、気が狂って本心を失ったものもいれば、まだ気が確かで本心を失わないものもいました。父の姿を見てみな大変に喜んで、ひざまずいて「よい所に帰って来てくれました。私たちは愚かで誤って毒薬を飲んでしまった。どうぞ命を救って下さい」とお願いしました。父は子供の苦しんでいるのを見て医学の本を調べ、よい色・香・味の具わった薬草を手に入れ、それを砕いて調合して子供に与えました。そして「この薬は色も香も味も具わっていてよく利く薬だ。早く飲んで楽になるように」といいました。子供の中で本心を失わないものは、この良い薬を見てすぐに飲んだので、病気はすっかり治ってしまいました。しかしほかの本心を失ってしまった子供は父が帰ってきたので喜んで病気をなおして下さいと頼むのであるが、すっかり毒にあてられて本心を失っているので、この良い薬を飲もうとしないのです。
父は考えました。「かわいそうに、毒にあたって何もかも分からなくなっている。なおしてくれと頼んでおきながら良い薬を飲もうとしない。何とか方法を講じて薬を飲ませよう」。そこで子供たちに向かい「私はもう年を取って死ぬ時が近くなった。この良い薬をここにおくから飲みなさい。かならずなおるから」といってよその国に旅立ってしまいました。
そして、そこから使いをよこして「あなた方の父はなくなりました」といわせました。子供はこれを聞いて「お父さんがいらしたら僕たちを可愛がって助けてくれたろう。いま僕たちを捨てて遠い他国でなくなってしまった。自分らは孤独で頼れるものはいない」と深くなげき悲しんで、そのショックから目がさめ正気にもっどりました。すると薬がおいてあるので、それを飲むとすぐになおりました。父は子供らが全部快復したという話を聞いて家に帰り、元気になったわが子たちに会うことが出来たのでした。
この喩え話において、父である医者は仏にたとえ、子供は私たち衆生にたとえています。父がなくなったということは、仏の入滅をたとえたものです。子供が毒にあてられたというのは、私たちの現実が三毒(貪〔とん〕・瞋〔じん〕・癡〔ち〕)と称されるさまざまの煩悩に汚されていることをいったもので、久遠の釈尊の存在を信ずることの出来ない私たち凡夫(ぼんぶ)は、じつはこの子供のように、毒によって心が正気を失って誤った見方あり方をする状態にあるのです。こうした凡夫の私たちに対し本仏の信仰心を呼びさますために、入滅の姿を示されるというのがこの教えなのです。


参考資料
『法華経講義 下』
『広辞苑』
 他


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