
●三変土浄(さんべんどじょう)
霊鷲山で説法をされております釈尊のみまえに金・銀・瑠璃等でつくられた塔が出現する。
その塔は高さ五百由旬、幅は二千五百由旬の大きさで、大地から湧き出して宇宙にとどまっていた。
その宝塔から大音声が発せられ、「あなたが説かれた教えはみな真実である」と釈尊の説法を褒めたたえる声が響きわたることになります。
釈尊の説法を聴聞していた人々は、未だ経験しない情景が繰り広げられることに対して、喜びと驚きを強く感じたに違いありません。一方は未知の出来事に人々は不安と疑問に襲われたのです。そこで大楽説菩薩が説法の場面につらなっている人々の心の動きを察知して釈尊に質問を投げかけるのです。
一には、いったいいかなる理由によってこのような大宝塔が存在しているのでしょうか?
二には、何故大宝塔が大地の下から涌出したのでしょうか?
三には、何故その大宝塔の中から大音声が発せられて、釈尊の説法を讃嘆されたのでしょうか?
先ず、二の問いの何故大宝塔が大地の下から涌出したかについて釈尊は次のように答えられています。「この塔の中には過去世の東方宝浄国の仏様であった多宝如来の全身が安置されていることが明らかにされて、菩薩として修行されているときに大誓願があり、そのことから、この法華経の説法の場面には涌出されたことを示されています。」
次に、一の問いのいったいいかなる理由によってこのような大宝塔が存在しているのかについて、釈尊は次のように答えられています。「多宝如来ご自身が入滅にあたられるに際し、比丘達に対する遺言として、多宝如来の全身に供養をささげようとする場合には、大きな宝塔をたて、その中に多宝如来を安置すべきであることを語られていたのです。そこで、多宝如来の遺言のとおり、多宝如来のための宝塔を造立されて、そして今霊鷲山の虚空に涌現していることになります。」
最後に、三の問いの何故その大宝塔の中から大音声が発せられて、釈尊の説法を讃嘆されたのかについて、釈尊は次のように答えられています。「多宝如来は昔からすぐれた誓願のはたらきをもって、十方世界のありとあらゆるところで、もし法華経が説かれることがあるとすれば、説法がなされているその前に涌現されるのです。しかも多宝如来の全身はその塔の中にましまして、その説法を称賛されて、すばらしいことです、すばらしいことです、とお述べになられるのです。」
ところで、釈尊が大楽説菩薩の三つの問いに答えを示されると、人々は大宝塔の中の多宝如来の尊いお姿を拝見したいと願い出るのです。
釈尊は大宝塔が開かれる一つの条件として、釈尊ご自身の分身仏がこの説法の場面にお集まりにならねばならないことを明らかにされています。
そこで大楽説菩薩は、是非とも釈尊の分身仏を拝見し礼拝し供養をささげたいと思いますと願い出るのです。そのことによって、釈尊はただちにその要請に応えるべく、行動を起こされることになるのです。
「それは釈尊の眉間の白い巻き毛(白豪相)から、一条の光明を放ちになられました。するとただちにその光明が放たれた東方の五百千万億那優多のガンジス河の沙の数に等しいほどの、無数の国土に在している多くの仏様を見ることができました。その多くの国土は、すべて水晶(瑠璃)をもって大地ができており、宝の樹木、宝の衣服によっておごそかに飾られて、無数の千万億という多くの菩薩方が、その国土に満ちあふれています。また、宝でできた垂れ幕がくまなく張りめぐらされ、宝でできた網がその上にかけられています。そしてその東方の国土の多くの仏様たちは、偉大なる音声をもって、多くの教えを説かれております。さらに、はかり知ることのできないほどの多くの菩薩方も、またそれらの国にあまねく満ちて、人々のために教えを説かれているのが拝見できました。釈尊は眉間白豪の光明を東方の世界だけでなく、南方、西方、北方の四方と、北東、北西、南東、南西の四維と上方と下方の方角にも放たれました。そのありさまは、東方の世界と同様の情景が映し出されたものです。十方世界において教化活動に専念している諸仏に、指示を与えることになります。」
このように、娑婆世界の釈尊から眉間白豪層から光明を十方世界に放たれますと、その光明に照らし出された十方の諸仏は、それぞれの弟子であります菩薩方に、つぎのように告げられるのです。
「善男子よ、私は、いま娑婆世界にましまして説法されている釈迦牟尼仏のみもとに行きましょう。そして多宝如来の宝塔に供養をささげましょう。」
娑婆世界に、十方の分身諸仏が来集されることが決定いたしましたから、娑婆世界の領域は、おごそかに清められることになるのです。それは三度にわたるのですが、これを『三変土浄』(三たび変じて国土を浄める)とも『三変土田』(三たび土田を変える)とも称される。
三変土田の様子については
「その時に、この娑婆世界はたちまちに一変して清浄になります。その大地は瑠璃からなり、宝の樹木がその大地をおごそかに飾り、黄金を縄にして、その縄をもって八つの方向に走る道を境としています。さらに、この世界は仏様をお招きする国土でありますから、世俗の世界は変えられて、多くの聚落、村々、城市、大海、江河、山や川・林ややぶなどの草木の茂みはありません。大きな宝玉のような香がたかれて、芳香がただよい、天の花である曼陀羅の華はすべての大地に散りしかれています。さらに、宝玉ででき綱やたれ幕が天にかけられて大地をおおい、その綱や幕には宝の鈴がかかっています。そして、釈尊はこの説法の場面にいる人々はここに留めおかれましたが、そのほかの天の神々や人々は他の国土に移し置かれました。」
このように、娑婆世界が清らかにされると、ただちに分身仏がお見えになるのです。
「この時、多くの仏様たちは、お一人お一人がそれぞれ一人のすぐれた菩薩をお着きの者として従えて、娑婆世界にやってこられ、宝でできた樹の下に到着されました。その一本の宝樹は、その高さが五百由旬でおごそかに飾られ、それらの宝樹の下には獅子座が設けられていました。その坐席の高さは五由旬で、大きな宝玉で飾られていました。」
つまり、十方分身諸仏は宝樹の下の獅子座(仏がすわられる座席)に、結跏趺坐(両ももの上に左右の甲をのせる座り方)されました。そして次々と仏様がお見えになり着座されましと、三千大千世界は満ちあふれてい、一つの方角の仏様さえ、この世界に受け入れることができないほどだったのです。それほどまでに、多くの分身仏が来集されたことになるのあります。つまり、釈尊は神通力をもって娑婆世界を清浄な国土に変じられたのですが、分身諸仏の数が多いために、着座される場所がなくなってしまいましたのです。そこで、釈尊はさらに分身仏をお招きするために、神通力をもって八つの方角にあたる二百万億那由他の国土を清浄にされたのです。
「その国土には、地獄・餓鬼・畜生等の三悪の世界はありません。また、釈尊はその国土にあった多くの天の神々や人々を他の国土に移し置かれました。ところで、釈尊の神通力によって清浄にされた国土は、大地が瑠璃によってでき、宝樹によっておごそかに飾られています。その宝樹の高さは五百由旬もあり、枝や葉、花や果実によって順次に飾られ、すべての樹の下には、宝でできた獅子の座が置かれています。その座席は高さが五由旬で、種々の宝によって飾られています。
また、大海や大河、さらにこの世界の中心にある須弥山や、この世界をとり囲む目真隣陀山や鉄圍山等の大きな山などもなく、一つの仏の国土となって、宝玉づくりの大地は平らかです。さらに、宝玉でつくられた幕がひろくその上をおおい、種々の旗や天蓋がかけられ、大きな宝玉のような香がたかれ、大地にはさまざまな天人の住む世界の宝の花が、くまなく散り敷かれているのです。」
このように八方の二百万億那由他もの国土を清浄にされたのですが、それでもなお十方分身諸仏をお招きする場所が足りないために、釈尊は重ねて八方の二百万億那由他の国を神通力によって清浄にされたのです。その国土の様子は、先に述べた内容と軌を一にします。以上のことから、釈尊は十方心身諸仏をお集めになるために、はじめには娑婆世界をついで八万の二百万億那由他の国土を、さらに八方の二百万億那由他の国土を清浄にされたことが理解できるのであります。このように釈尊が三度にわたって国土を清浄にされましたことからこれを『三変土浄』とも『三変土田』とも称します。
【由旬】
古代インドの距離の単位の一。1由旬は、牛車の1日の行程をさし、約7マイルあるいは約9マイルなど諸説ある。中国では6町を1里として、40里または30里あるいは16里にあたるとした。ヨージャナ。
帝王の軍隊が一日に進む距離といわれ、約 10km、約 15kmなど諸説ある。
【那由他】
1 古代インドの数量の単位。ふつう一千億と解するが、異説も多い。転じて、きわめて大きな数量。
2 数の単位。10の60乗。一説に10の72乗。
参考資料
『法華経に学ぶ 下』
他


